旅に必要なのは、自分と「性格が真逆の人間」とチャリ 河口湖編
- Uni Sakura
- 2022年5月25日
- 読了時間: 5分
更新日:2022年5月27日
午前8時25分の河口湖行きのバスに乗る予定が、結局3本後のバスになったのは、私と友人の唯一の共通点である”ルーズさ”が引き起こしたことだが、集合時間に起きるという最悪のケースが容易に想像できる私たちにとっては、予定通りと言ってよかった。
瀬戸内海で育ち、東京のコンクリートジャングルで社会の見えない小さな小さな歯車として、文字通り”身を粉”にして働いている私たちは、「とにかく自然に癒されたい」と行き先を山梨県の富士山のふもと、河口湖に決めてエアビーで民宿を予約した。
熟睡する私たちを乗せたバスは約2時間後に河口湖駅に到着した。
雨女と自認している私たちを迎えてくれた河口湖はなんと雲一つない青空だった。
「ありえない」「奇跡」「日頃の行いが良い」「神に感謝」など、各々おもいおもいにこの素晴らしい快晴に対して、驚きと感謝の言葉を口にした。
半袖で良くね?と思うくらい暖かかったのも最高だった。
チェックインの時間になり、宿に荷物を置き、自転車を借りて河口湖の周辺を周ることにした。
空が晴れた暖かい日に乗る自転車は、なんて気持ちいいんだろう。
東京では既に桜は散っていたが、気温の低い河口湖では今が満開だった。
満開の桜を2回も見れるなんてラッキーすぎる。
自転車を停め、八木崎公園のまるでアーチのような桜並木を歩いて抜けると、見たこともないような広い芝生の広場に出た。 そこにある唯一の丘に登ると、今まで見た中で一番大きな富士山が見えた。

富士山は日本一の山として有名だが、人々がなぜこんなにも富士山に惹かれるのか分かった気がした。
寝転がって富士山を見ながら本を読むのは最高だろうなと考えながら、レジャーシートを持ってこなかったことを二人で悔やんだ。
仕方なく公園の中を歩き、一番湖に近い場所まで来た時、友人は向こう側に見える大きな橋を指差して「あそこまで行こうよ」と言った。
行けなくはないが、半分ちょっとだるいなという気持ちと、せっかく来たし時間もあるし行っても良いかという気持ちで「いいよ」と答えた。
行くなら夕日が沈むくらいに行った方が素敵なんじゃないかと、小腹も空いていたのでコンビニで何か買って時間を潰すことにした。
都内ではまず見ることのない、車が10台は停めることができるであろう大きな駐車場で食べる、からあげクンは、地元の小さな町で過ごした学生時代を彷彿とさせ、少し懐かしい気分になる。
だが、からあげクンを食べながら友人が話し始めた内容は「結婚したら地元に帰るか?」という話だったのでノスタルジックな感情は吹き飛んだ。
いよいよ良い感じに日が暮れ始めたので、橋を渡ることにした。
いざ渡り始めてわかったことだが、この橋は真ん中にかけて坂になっているらしく、漕ぎ始めてものの1分たらずで後悔の気持ちが湧いてきた。
しかも富士山は私たちの背中の方角にいて見ることができず、特に何の感動もなく橋を渡りきってしまった。そして私たちは橋の反対に渡り、引き返すのだが、そうするとまた坂を越えなくてはならないのだ。
運動不足の身体に限界を感じつつも、2度目の坂を越えた、ちょうど橋の真ん中あたりで、海のような大きな湖に沈む夕日が見えた。
黒にも深い緑にも見える水面に、オレンジの夕日が反射して金色の光を放っていて、どれだけ大きな暗い湖でさえもその光には勝てず、ただ反射板としての役割をなすしかないようだった。
夕日は橋の上にいる小さな私までも光で包み、受け入れ、守り、勝手に背中を押してくれているように思えた。
どうしようもない高揚感でチャリを漕ぎながら「わー!!!」と叫んだ自分に驚きつつも笑いながら、心が軽くなっていくのを感じていた。

レールどころか何の道標もない人生を、自分の足で歩みたくて生きてはいても、不安になることはある。
「実現できなかったらどうしよう」「今のまま何も変わらない生活が続いたらどうしよう」
しかしそうなることは、人生の”失敗”なのだろうか?
そもそも人生の”成功”と”失敗”とはなんだろう。
最近、「宇宙に目的はない」という言葉を聞いた。
宇宙自体に目的がないので、そこに存在する人間にも同じく目的や意味はない。
”人生の成功や失敗”や”生まれてきた意味”は勝手に人間が作り出したものなのだ。
しかし、なぜかそのようなものを持つことが価値のある人生だと思ったり、多くの人々と同じように、学校を出たら働いて、恋愛をして、結婚して子供を作るという決められた道を絶対に歩まなければならないと錯覚する。
しかし、これ自体もまた人間が勝手に作り出したものにすぎないのだ。
もちろん、目標を持って生きることが良くないというわけではない。
正確には良いも悪いもない。
ただ、自分が立てた人生の目標や、人間が作った社会の”人生の失敗と成功”にこだわり、縛られて、自分を追い詰めてしまう必要は全くないのだ。 私は何をやってもいいし、何をやめてもいいのだ。
この瞬間、目的も意味もない人生で、ただ一つ間違いないのは、私はいま幸せだということ。
大きさは関係ない。
自分が幸せだと感じれば、それは幸せだ。
私の命が尽きるまでに、たくさん自分にとって「幸せ」だと感じることをしよう。
それだけで十分で、何より、幸せという感情は揺るぎないものだ。
橋を渡ろうと提案してくれなければ、この景色を見ることも、この感情にも出会えていないのかと思うと、私のめんどくさがりな性格とは反対の、好奇心旺盛な友人がいてくれて良かったと思った。
あと、徒歩で往復1時間半のこの道のりは、チャリじゃないと来ていなかっただろう。行動範囲を広げてくれたチャリにも感謝だ。これからも旅先では積極的に乗っていきたい。
そんなことを考えなながら、まもなく橋を渡り終えようとしていた。
橋を渡ろうと言い出した当の本人は、一度も橋の上で止まることはなくノンストップで駆け抜けて、しばらく橋を渡り終わる私を待っていた。
最初は「いい感じだったら橋の途中で止まって写真を撮ろう」と言っていたので、不思議に思い「いい感じじゃなかった?」と聞くと、
彼女は「寒かった」とだけ答えた。
旅には「自分と性格が真逆な人間」とチャリと、 あと、どんなに暖かくても「ジャケット」は1枚あった方がいい。
sakura
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