「もう一度会いたい人」人生最大の失恋で手に入れた自己肯定感とミシン
- Uni Sakura
- 2022年7月23日
- 読了時間: 5分
3年前に上京したとき、もしかしたら彼に遭うのではないかとドキドキしていた自分が愛しい。
結局、今現在まで彼に遭うことはなかったのだが、彼に遭ったらどう声を掛けようか迷う(声掛ける前提なのつよ)
たくさん恋愛をしたわけではないが、彼のことをきっと忘れることはないだろう。
良いも悪いもさまざまな経験をさせてくれて、私の恋愛観に多大な影響を与えた。
彼と出会ったのは、23歳の頃だった。確か10歳ほど歳上の彼は、ミャンマーの発展の為に現地で働いていた。
小さい頃から、ルーツであるフィリピンの子供達の為に行動できる大人になりたいと思っていた私は、彼をとても尊敬し、恋に落ちるのに時間はかからなかった。
その頃私は、幼い頃からもう一つの夢だったブライダル業界に就職し、ドレスコーディネーターとして働いて2年が経っていた。
しかし、自分がやりたいのは接客や販売ではないと気づき始めていた。なにより、会社に勤めるのではなく、自分の好きなことや表現で生きていきたいという思いが強かった。
しかし当時、ブライダル業界で1,2を争う大手の会社を辞めることは容易ではなかった。
ブライダル業界に就職するという夢を叶えるために通っていた専門学校は、全国10都市に姉妹校があったが、その会社に受かったのは私が初めてだった。
喜んでくれた先生や、いつも応援し合い一緒に頑張ってきた仲間を思うと、なかなか退職出来ずにいた。
誰に相談しても反対された。いつも私を信じてくれる友達さえも、応援はしてくれなかった。
周りに誰も味方がいなくて心が疲弊していたとき、彼はずっと私に「必ずできるよ」「さくらちゃんなら絶対大丈夫」と声をかけ続けてくれた。
「絶対夢を叶えてね」といつも言ってくれた。
まるで私の心の声かのように、私の聴きたい、信じたい言葉を私に言い続けてくれた。
あの時、彼だけが私を信じてくれた。
彼の心の支えもあり、夢を叶えるためにブレず仕事を辞める選択ができた。
きっと私の性格上、彼と出会わなくてもいつかは仕事を辞め東京に来ていただろう。
しかし間違いなく、彼の支えがあったことで、その”いつか”を早めることができたと思う。
父親に「お前はなにもできない」「何の取り柄もない」と言われて育った私は、そんなはずはないと自分を鼓舞してはいたが、その言葉の呪いを解くことは難しかった。
私のように言葉の呪いがなくても、自分を信じることが難しい人はいるだろう。
なぜなら、自分を信じるには、安定した環境や精神が必要だからだ。
その安定した環境と精神を失っていた私には、自分を信じるより、「大丈夫」という他人の言葉を信じることの方が簡単で、とても支えになった。
あれからまた自分を信じられるようになって、「信じる」ことにどれだけ力があるか、そこにどれだけ愛があるかを知った。
その言葉の裏には「もしダメでも大丈夫、一緒に乗り越えるから」という意味が少なからず込められていると思う。
そんなの愛でしかない。
そんな大切なことをたくさん教えてくれた彼だが、別れは最悪で、彼が既婚者だったことが発覚したのだ。
彼の妻は結婚後、彼と一緒にミャンマーに移ったが、彼の仕事が忙しくすれ違いが増え、ストレスが溜まり彼女は日本へ帰国してしまったのだ。
そしてその後、彼は私と出逢った。
「仕事が忙しいことや言葉が通じないストレス、そんなのある程度は想像してミャンマーに来てくれたと思っていたのに……」と妻の愚痴を言った彼に(いやこの状況でなんで私に妻の愚痴を言える)、私は
「それだけストレスが想像以上だったということ。言葉が通じない国に友達も家族もみんな日本に置いてきて、彼女はあなたしかいなかった。それなのにあなたは帰ってこない。部屋であなたを待ってるだけの生活なんて辛いに決まってる。簡単に言うけどそれは本当に凄いことだよ」 と、彼の妻の気持ちを何故か理解してしまい、声を震わせて怒った。
「信頼し愛していた人が既婚者」という大きな傷を負ったにもかかわらず、その彼の妻の為に怒ることができる私は、本当に最高な女だ。
結局、彼の妻は日本に帰ってからも長らく彼を拒否していたものの、ミャンマーでの生活のために英語を学んでいたらしい。
その連絡が来た時(いや連絡してくんな)、「ほらね、よかったじゃん」と言った私は本当に何者なんだろうと思う(メンタル強すぎて誰が私に勝てる?)
そして無事?彼は妻と和解し、一緒にまた歩んでいくと連絡が来たとき(連絡してくんなよ②)
「今までのこと本当にごめん、許してほしい(省略)」と言ってきた彼に、「許すけど5万のミシン買ってね」とAmazonのURLを送った。
ミシンは無事に届き、一応お礼の連絡を入れた以降、彼とは連絡をとっていない。
そして今もミシンは壊れることなく実家で活躍している。
今、東京を歩いても彼の姿を探すことは無くなった。 でももし彼に遭ったら、彼の肩をたたき「こんにちは」と言って、驚く彼を見ながらゲラゲラヒーヒー笑いたい。
一通り笑い終わったら感謝を伝えたい。
あの時信じて支えてくれたこと、素敵な思い出をくれたこと、色々経験させてくれたおかげで私は私が最高な女だと改めて思えたこと。
そして今、東京でやりたいことをやる為に生きていると伝えたい。
マジありがとうね!と。
……と思ったけど実際今見たら殴っちゃうかもしれないし、やっぱり声をかけるのはやめておこうかな。
彼に感謝はしているけど、それ以上に、大きな傷を力に変えた自分自身に感謝しているし。
それに今の私には、最高な私がいるから。
Sakura
※なぜミシンを買わせたのか気になって眠れない人がいるかもしれないので補足するね。
当時の私は自分で服を作って自己表現をしようと考えていたの(完全自己流なのメンタル強い) 結局1着リメイクして(今も着てるよ)、ミシンは重いから東京には持ってこられなかった。
母も作業着のほつれを直すのに便利だから持っていかないでと、今は母の相棒になってる!完
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